気がつけばそこに距離が

「世に何事かをなすピークの年歳」というテーマで
何か書いてみなさいよ。と、Daiさんからリクエストが来た。
このリクエストを見たとき、彼はきっと司馬遼太郎が書いた
坂本龍馬の本を読んだからそのようなテーマをぶつけてきたのだろうと思った。
昨日、彼と食事をして、そのことを確かめたると、僕の予想は当たっていた。


僕が初めて司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んだのは確か、小学校5年生くらい。
もちろん、感動した。時代というものに対して、藩という背景を持たない
浪人という立場で、歴史に対してこれだけの影響を及ぼすことができた人は
彼以外なかなかいないのではないかと思う。
読み終えたあとは、そういうった意味での、彼の魅力のとりこになってしまった。
そして、当然のごとく、僕も彼のように歴史に名を残す人になりたいと思った。
だから、小学校の文集のようなものに「歴史に名を残すような人になる」と
書いた記憶がある。


だが、今となっては、それがとても気恥ずかしい。
なぜ、気恥ずかしいのかというと、「歴史に名を残すような人になる」
というのは今の僕の価値観の中では優先順位がかなり低い。
もっと積極的に言えば、それは僕の価値観ではないと思う。
だから、僕は「歴史に名を残すような人になる」ための努力はしないと思う。


じゃ、どういう価値観をお持ちですか?と問われれば、
「幸せになる」ということが僕の一番の価値観。
じゃあ、それは世の中のために何もしないということなのか!
と眉を吊り上げながら尋ねてくる人がありそうで、そういうのは少し怖いので、
もう少し説明すると、僕が幸せを感じるためには、
僕の仕事が楽しくなくてはならないし、仕事が人のお役に立てなければ
楽しいと感じることはできない。


例えば、僕はバイオのことを扱うのが好きだし、
考えをまとめたり、本を読んだりするのも好きだ。
そして、そこで学んだ知識なり、技術なりが、
実際に人の役に立つとさらに嬉しい。


先日、ある病気に関連するSNPの解析を行ったところ、
これまであまり関連が注目されていなかったものが、
その病気に関連してそうなことがわかった。
すぐにそれが患者さんの役に立つことはないだろうが、
僕が仕事を通して多少なりとも関わって発見された
その知見が将来なんらかの治療に結びつく可能性あると
考えただけでもかなり嬉しい。実際にそうなるともっと嬉しいだろう。


僕はこれから、おそらくそのような喜びを追求していくと思う。
そこに、「歴史に名を残すような人になる」という価値観は関係ない。
だから、残念ならが「世に何事かをなすピークの年歳」といのは、
僕にとってはあまり当てはまらない。
社会を根底から覆すような社会的な変革や、
科学的な発見に僕は携わらないと思う。


一発逆転ホームランではなく、
こつこつと確実にヒットを狙っていくのが僕の性にあっているような気がする。
ふと気がつくと、ここ20年くらいで僕と「龍馬がゆく」の間には
いつのまにか大きな距離ができているのに気がつた。
それが、成長なのか、退歩なのか、見る人によってかわるだろう。
だが、僕は成長したと思う。


ちなみに、龍馬が暗殺されたのは彼が33歳のとき。
つまり、僕ぐらいの時にはかれは、既に日本を大きく
転換させるようなことを行っていた。
それと比較すると、自分の小ささが自覚させられるなーー。


ただそれは外的な要因が大きいと思う。
明日は外的な要因と年齢のことについてもう少し書いてみようかな。
ちなみに、今日は夏草薫の内部的な要因(価値観)と
Daiさんから与えられたテーマをからめてみました。


からみ具合はいかがでしたか?
ハーモニーを奏でていたでしょうか?