「縁」に関する偶然と必然について


2006年9月9日の僕のブログに登場したシーサーをくれた小学校時代のからの友達と
その彼女が、4月12日に写真にあるような快晴の長崎の空の下で結婚式を挙げた
今日は風呂に入りながら、「縁」ってものについてぼんやりと考えた。


人との出会いがその人の人生を大きく変えることは珍しくない。
結婚がその最もたるものであろう。
僕も自分の現在の状況に至った経緯を改めて考えて見ると、
出会いというものがかなり決定的な要因を占めていることに気がつく。


だけど人との出会いは本質的に偶然としか思えない部分がある。
例えば、結婚式の5次会(番外編)は僕と同じ年の6人だけで遅くまで飲んだ。
そのうち、僕にとって3人が初対面だった。


それぞれの職業は小学校の先生、中学校の美術の先生、
農業試験センターの職員、洋服のデザイナー、薬剤師、
コンピュータシステムを作る人といった普段は縁もゆかりもない人達。


だけど、偶然にもこれら6人が4月13日の午前2時頃に
長崎の寺町のとある居酒屋に集い、「別れ」「巨峰」「カブトムシ」に
ついて熱く語り合っていたのだ。なぜそのようなメンバーでそのような
話題について語り会ったのか、それはもう、偶然としか言いようがない。


だけど、その時間は僕にとってとてもいい時間であった。
普段付き合っている友達は思考回路が似ているので
重要な事柄について正反対な考え方はあまり持たないものだが、
そのメンバーの中には逆の考え方をする人の発言もあったりして
とても刺激になった。おそらく人生で忘れられない一コマになるような気がする。


どのような人と出会い、その人とどのような時間を過ごし、
その人とどのように影響を及ぼし合うかによって人生そのものが変わっていく。
出会いについては偶然が占める割合が比較的高いと思うので、
僕を含め多くの人は、常にいい出会いがあればいいなと期待していると思う。


しかし、残念ながら出会いはコントロールができない。
僕が4月13日の午前2時頃に今回会った6人のメンバーと会うことを
僕が事前にコントロールするのは不可能であった。


僕にできたのは、その人たちと出会った後に、
初めてあった人の話を聞き、精一杯自分の考えを表現することだけであった。
その結果、僕ら6人は楽しい時間を過ごすことができた。


結婚も一種の人と人の出会いなのだから、2人が結婚するに至る過程には
ヒトにはコントロールできない偶然が作用した部分も多いことだろう。
その偶然の部分を「運命」や「運」と呼ぶ人もいるかもしれない。
なぜ出会ったのか、なぜ結婚したのかという問いには、
どうしても答えられない部分が残るものだと思う。


だから、願わくば、今回結婚した2人も、出会いといった、
コントロール不可能な部分に意識を集中させることなく、
出会った人とどのような時間を過ごすのかという2人がコントロール
できることについて意識を集中させ続けて欲しいと思う。
そのような長時間の努力の結果、縁の中に含まれる"偶然"の要素が
姿を消し、すべて"必然"に変わっていくような気がしている。


「縁」って不思議なものだ。
縁ができるには偶然に依存する部分が確かに存在する。
しかし、縁があったのだと言える関係になるころには
その出会いは必然としか思えない。


僕もこれから多くの人と"必然"としか思えない「縁」を作っていくつもりです。
もちろん、今回結婚した2人に対してもそのように思っています。
これからもよろしく。そして東京での新生活、頑張って下さいね。