ぬか漬けとコーヒーの関係

先週、遅ればせながら、リリー・フランキーの東京タワーを読んだ。
作者は母親の半生を描く物語の中で、東京タワーを一つの象徴的な物として登場させている。
それは日本の真ん中に孤独に立ち続けるものとして、様々な人々の人生の喜怒哀楽、
生き死にを無機的に眺め続ける象徴として登場させているように思う。


彼の母親が病室からそれをどのような思いで眺めていたのか。
想像の世界ながら、彼の母親はそこからどういう風景を見ていたのか。
物語を読んだ後、そのようなことを考えるだけで少し切なくなる。


物語に登場する「物」で東京タワー以上に印象に残った物が「ぬか漬け」だ。
母親が毎日づっと世話をし続けるぬか漬け。
「ぬか漬け」という物が、息子に、家族に、美味しいご飯を食べさせたいと思い続け、
そのために生き続けた一人の母親の愛情そのものの象徴であったように思う。


彼の母親がどんな時にでも、ぬか漬けを大切にしていたことが、
日常を大切にしたいという人間の思いを強く感じさせた。


東京タワーとぬか漬けは、この物語全体にある一種の対立の象徴だろうと思う。
都会と田舎。非日常と日常。虚と実。夢と現実。彼の父親と母親。
そしてこの2つ物が象徴する事象の対立が、
その狭間で生きていくしかない人間への愛おしさを
つよく感じさせるバックボーンとしてあるように感じた。


感動し、本をパタンと閉じ、少し心を落ち着けてぶらりと外を散歩した。
ふとその存在に初めて気がついた近所のコーヒー店に入った。
そこは小さいながらも個性的で洒落たコーヒー店であった。
しかしなぜか不思議なことに「ぬか漬け」がメニューにあった。


「東京タワー」と「ぬか漬け」をめぐる物語に感動した直後、
僕は「コーヒー」と「ぬか漬け」の関係について考えることになった。
どうてもいいけど、この世は少し面白い。